日本ジョンソン協会第41回大会プログラム
会 場: 広島県民文化センター(大会会場)/鯉城会館(懇親会会場)
〒730-0051
*鯉城会館は県民文化センターに併設されています。
プログラム:
受付開始 10:30 (会場の都合により、開始時間が例年と異なりますのでご注意下さい。)
シンポジアム 11:00〜13:30 (途中でケーキとコーヒー)
総会 13:30〜14:00
懇親会 14:30〜17:00
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<シンポジアム要旨>
サミュエル・ジョンソンの『詩人伝』を読む
―侵犯する伝記的/批評的ナラティヴ―
司会 原田範行(杏林大学)
講師 箭川 修(東北学院大学)
講師 大西洋一(秋田大学)
講師 西山 徹(岡山商科大学)
講師 福本宰之(龍谷大学)
『詩人伝』は、一般に、文学史記述の先駆をなす記念碑的傑作とされるが、実際には、様々な執筆基準とジャンルが混交し互いに侵犯を繰り返す極めて流動的なテクストと言える。そもそも「伝記的かつ批評的」という様式自体、本来は「英国詩人作品集」各巻への短い「序文」という枠組みの中で許容されたものであって、『詩人伝』が独立して出版されることで、その性格は一変してしまう。本シンポジウムでは、特にミルトン、ドライデン、スウィフト、ポウプに関する記述に焦点を絞り、「記念碑的」性格をいったん保留してその流動性や不安定感に着目し、そこから、生誕300年を迎えるジョンソン最晩年のこの作品の意義を再検証しようとするものである。(なお当日は、『詩人伝』の初期の諸種版本の展示なども予定しております。)(原田)
『ミルトン伝』を読む―「公平な批評の役目」とは?
箭川 修
自らの思想信条からミルトン非難を展開しているように見える『ミルトン伝』が標榜しているのは「公平な批評の役目」である。ジョンソンは、巨大な『失楽園』がミルトンの生涯や人格、個々の作品の意義や価値を歪曲してきたと考える。ミルトンの私塾開設を「慈善行為」などと伝えるのは『失楽園』の詩人を貶めまいとする心性に基づくものであり、『失楽園』の詩人が書いたものでなければ、『リシダス』は楽しく読めるような代物ではなく、『復楽園』はもっと評価されてしかるべき作品、とジョンソンは語る。『失楽園』に畏怖を覚え、様々な歪曲を受容してきた読者の蒙を啓くには、この作品の巨大さに穴を穿つための冷徹な公平さが必要だった。
『ドライデン伝』を読む―ジョンソンの「反演劇的偏見」
大西洋一
ドライデンに対してひとかたならぬ敬意を抱いていたジョンソンは、『ドライデン伝』において、英語と英詩の韻律を洗練させた詩人として、そして「英文学批評の父」として彼を賞揚する。だが、その一方で、貴顕への「お追従」を並べたてた文章を書き、糊口をしのぐために芝居を走り書きする「劇作家」ドライデンには、辛辣な言葉を投げつける。ジョンソンは、「有象無象の拍手に自らの幸福を委ねる」売文の徒としての劇作家を責めるが、それもまた、時代の中で創意を発揮しながら生きるドライデンの真の姿に他ならない。本発表では、ドライデン自身の演劇への取り組み方の変化にも目を配りながら、劇作家という稼業に対するジョンソンの複雑な態度を確認したい。
『スウィフト伝』を読む―ジョンソンと選択された人生
西山 徹
ジョンソンの『スウィフト伝』は、先行する複数の伝記を編集する形で書かれている。スウィフトの自伝的作品を含む既存の伝記の記述を取捨選択し、それらに注釈を加えるという編集作業によってジョンソンは自分流の「スウィフト伝」を作り上げていったのである。スウィフトを美化する傾向に抵抗するジョンソンは、スウィフト神話の虚構性を暴露して、生々しいスウィフト像を引きずり出そうとする。しばしば「不当」であると評されるその記述から読み取れるのは、自ら招いた悲しみと苦しみの連続としてのスウィフトの生き様とその死に様である。『スウィフト伝』の凝縮された記述によってジョンソンは人間存在の悲しみを浮き彫りにするのである。
『ポウプ伝』を読む―ジョンソンによる新たな功績について
福本宰之
Harriet Kirkley
はジョンソンがそれまでのポウプ伝の系譜に付け加えた、オリジナルな記述として、大まかに
@ Homer の英訳出版に関する部分
A 自らの書簡集出版に関する部分
B 3巻本のThe Dunciad 出版をめぐる経緯と1743年に4巻本 The Dunciad を出版した際にポウプが作品に施した修正に関する部分
の3つを挙げている。この中で、特に注目すべきはAであろう。今回の発表では、このAを中心に、ジョンソン以前と以後に書かれた『ポウプ伝』の記述を比較検討しながら、ジョンソンの『ポウプ伝』の功績について考えてみたい。