[日本ジョンソン協会創立40周年記念特集]
世異なれば則ち事異なり
鈴木善三
夏目漱石が東京帝国大学文科大学に在学中、英文学談話会で「英国詩人の天地山川に対する観念」と題する講演を行ったのは、1893年のことである。漱石はこの談話の中で、Edmund Gosse やLeslie Stephen等を参照しながら、18世紀イギリス詩人の自然観の変遷をPopeからWordsworthに到るまで跡付けている。漱石の論旨は、ヴィクトリア朝の批評家と大同小異であり、巧緻派Popeについては、「天地の霊活なる景物に感触して衷情を吐露したりとは思へず」と述べ、対してWordsworthを「万化と冥合し宇宙を包含して余りあり」と評している。これは後の『文学評論』(1909)にも通底する議論であるが、ここで、その内容を縷説する余裕はない。ただ、例外的にSwiftに共感した漱石は、第五編のPope論の中で、『エロイザの消息』と『弔歌』を取り上げ、Popeが「浪漫的な情緒の発現」を書き得る資質を備えていたにも拘らず、知的要素に重きを置く作品を物したのは、18世紀という散文的「時勢の圧迫」によるものだと断じている。
ところで、漱石の東京帝国大学文科大学の卒業より遅れること四年(1897)、ハーンによって「一万人中の唯一の日本人学生」と、その才能を激賞された上田敏も、同じく英吉利文学科を巣立っている。上田は、『文学評論』において「常識文学」として消極的評価を受けたAddsionを、彼の門弟の一人、矢野峰人は「上田敏先生」の中で「一高時代に、先生が最も愛読尊敬された泰西の文学者が十八世紀の英文人アディソンであ(る)」と記している。
事実、上田は帝国大学に在籍していた1896年、『帝国文学』に「細心精緻の学風」を寄稿し、「而して邦人の英文学といふもの甚しきはポウプを以って詩人ならずといふあり。声調を辨せず、修辞を知らず、又思想の雄健簡勁なるに盲なるを示すものにあらずして何ぞ」と記している。上田は「希臘思想を論ず」や「典雅沈静の美術」を著し、古典古代の文芸を擁護して、その一端を自ら『海潮音』(1905)の訳詩(例えば、「サッフォ」)に実践した。
しかし、上田は1916年7月、43歳の若さで急逝するが、彼の葬儀に参加した漱石自身も、同年12月、漱石の宿痾ともいうべき胃潰瘍で永眠する。これら二人の巨星が英文学界から姿を消した後、日本の18世紀イギリス文学研究がいかなる推移を辿ったかは、寡聞にして知らないが、1933年、石田憲次が『ジョンソン博士とその群』を上梓し、同年、福原麟太郎が『トマス・グレイの書誌的研究』を公にしたことは明記すべきであろう。
漱石は、1907年、東京帝国大学への教授就任を辞退し、朝日新聞社に入社するが、彼が目されていた英文学講座に初の日本人教授として着任した斎藤勇は、1927年、『英文学史』を刊行し、続いてKeats’ View of Poetry(1929)によって、英文学者としての地位を確立する。斎藤の一年先輩で、東北帝国大学法文学部西洋文学第一講座の創設(1924)に関った土居光知の卒業論文が、生涯の研究テーマともなったロマン派詩人の一人‘Life of Shelley’であったことは意義深い。こうした断片的事実から推し量れるのは、明治、大正、昭和の英文学受容期にあって主流をなしていたのは、18世紀イギリス文学でなかったことは首肯せざるを得ない。
話題は転ずるが、1936年5月30、31の両日、宮城県女子専門学校で行われた第八回日本英文学会において、東北大学附属図書館所蔵の一部が展観され、その目録が手許に残っている。これを参照すると、当時の英文学への関心が那辺にあったか、多少明らかとなる。まず、頁を開くと、Exhibition of Books Chiefly of the English Romantic Periodという英文表題が目に付く。以下、この小冊子には、AからGまで7部分に、Keats、Shelley, Blake, Coleridge等の主要作品が並べられている。唯一の例外は、LavaterとErasmus Darwinであるが、これとて、Blakeが版画を施した作品だからである。主催側の土居の関心の反映とも受け取れるが、ここにも18世紀イギリス文学への周縁的位置付けが看取される。
しかし、こうした情況は、必ずしも日本にのみ当て嵌まるものではない。1965年の来日に際して、日本ジョンソン協会設立を促したJames Cliffordは、Barnard CollegeやColumbia大学で、1944年以来長年に亘って18世紀イギリス文学を講じ、1940年には、早くもJohnsonian Newsletterを独力で出版し、当時の英文学界を覆っていたロマン派やヴィクトリア朝的偏見を是正し、かつ、この分野が‘one of the most vital and active fields of literary study’ であることを力説し続けた。Cliffordの衣鉢を継いだDonald GreeneはThe American Society for 18th-Century Studiesを立ち上げ、‘the age of prose and reason’という蔑称に対して、‘the age of exuberance’ という概念によって、この時代を捉え、排発的論争を試みながら、18世紀イギリス文学研究の再評価のために、精力的に活動した。彼の著作集は、2004年、John L. Abbottにより編纂出版されたが、現時点では、‘humanistic’ という批評は免れ得ない。
さらに、1987年、The New 18th Centuryを刊行して、アメリカの学界に登場してきたFelicity NussbaumとLaura Brownは、自らfeminism批評の具現者であり、new historicism 等の新しい知見を導入した。加うるに、Michel FoucaultやJürgen Habermas等による「啓蒙思潮」の再検討は、18世紀イギリス文学研究を18世紀イギリス文化研究へと拡大させていった。
こうした先鋭的なアメリカ18世紀学会の方向に、いささか保守的な姿勢を取っていたThe British Society for 18th-Century Studiesも、近着の機関誌BJECS 29, no.2(2006) を見ると、‘How Queer Was Cowper?’とか、‘The Politics and Poetics of Sodomy in the Age of George III’ といった論考も目立つようになった。
「世異なれば則ち事異なる」(『韓非子』)を引くまでもなく、創立40周年を迎えた日本ジョンソン協会も、時代の変貌とともに、その姿を変えて行かざるを得ないだろうし、研究とは、本来、そうした要請に応えなければならないものである。